| 3月11日 伝統文化こども教室 池と寺と神社と |
■笛吹の独り言■
今日は久米田池から久米田寺、天の川沿いを下って夜擬神社までの大遠征。詳細はこちら。
水利共同体久米田池郷(久米田池土地改良区)の川中さん、久米田寺華厳院の青木さん、夜擬神社の原さんには、CD「鳴物十三ヶ町」や「平成17年度八木年番冊子」「久米田寺落慶法要」などで大変お世話になっている。今回企画はその恩返し(またお世話になったとも言える)の意味も込めた企画である。
以下の文章は、私が「八木年番冊子」で書いた文章。
「八木だんじり祭」とは、夜疑神社の「例祭式」と、それに合わせて、氏子らが自町の地車を盛大に曳き廻す「神賑行事」によって構成される「祭礼」であり、各町地車は、夜疑神社への「宮入り」、「氏地曳行」、久米田寺・開山行基堂への「行基参り」を行なう。
この中で、「神社」の「例祭式」に合わせて曳き出される地車が、「寺」の境内に曳き入れられる「行基参り」は、全国的に見ても非常に珍しい祭礼行事であり、「八木だんじり祭」の大きな魅力の一つとなっている。
「八木」は、文禄検地、延宝検地を経ても、条里界が大字地籍界として残る貴重な地域であり、かつての村域はいずれも六町四方(六五四×六五四メートル)の正方形で、現在でも、碁盤の目のように各町が整然と並ぶ。八世紀、行基によって築造された久米田池は、「久米田池郷(現・久米田池土地改良区)」が維持・管理してきた。「久米田池郷」は、「八木郷」を中心とし「加守郷」「山直郷」の一部を含む灌漑水域の十二ヶ町で構成され、古来「古法古格」と称される定を守る水利共同体である。明治末期の各村産土神社の合祀は、地域によっては少なからず抵抗があった。しかし、「八木」では「池郷」としてのまとまりがあったために、比較的穏やかに各村産土神社の夜疑神社への合祀が行なわれたとも考えられる。
「八木」周辺地域は、現市町村界、旧郷界等の行政界を越え、多岐にわたって町々の結び付きが重なり合っている。この基盤の上に、「岸和田祭」の影響を受けて「地車」を祭礼に導入するに至り、久米田池、久米田寺に縁りのある地車が集った。十三ヶ町の地車が整然と並び、だんじり囃子が入り乱れる様は圧巻であり、この「八木地車郷」とでも言うべき町々の繋がりが、「八木」の大きな魅力である。





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