平成19年10月

篠笛教室のご案内 教本・CDなど 篠笛の音

9月の民の謡 11月の民の謡




文化庁芸術祭参加公演 民俗芸能からの篠笛 浪切ホール(岸和田)



11月2日(金)岸和田市立浪切ホール(小ホール)19:00〜 お申し込みはこちらまで。

昨年の芸術祭





10月30日 産経新聞 大阪版
■民の謡事務局■
本日産経新聞に11月2日の演奏会情報が掲載されました。



10月28日 宮本町昇魂式 大阪城界隈
■笛吹きの独り言■
4時起床。岸和田駅前にて待機。5時45分。地車始動。現在の地車は大正10年新調。来年新調予定の地車は、大工は吉為工務店。彫物は木下彫刻工芸。


 



溢れんばかりの見物人であるが、面白いのは、地車通過後、次の見物名所まで、数百人が一気に先回りのために走り出すことである。私もその一人であるが、男も女も(やはり若者が多い)、ひたすら次の地点への大移動。私は「沼町」経由で「貝源」へ。





古磨屋でお世話になっている吉為の棟梁さんが大屋根にっ!


町内曳行を見送ってコナカラに急ぐ。

 


北町の時と行動は同じ。コナカラのやりまわし後即座に五風荘へダッシュ。ここは、地車と城とを同時に納めることができるナイスな地点。



 



城見橋(東大手門址)から町内へ戻る。

この後の式典の様子は 六覺千手氏のブログへGO!

一旦事務所に戻り、今日はKさんと大阪歴史博物館と大阪城へ行かねばならない。

 川中島の合戦について見聞を広める。


常設展にある安立(あんりゅう)の船地車。



その後、大阪城で「秀吉のお伽衆」の特別展を見て、旭堂南陵一門による講談を聴く。
ネタは、秀吉のお伽衆だったとされる曽呂利新左エ門にまつわる「曽呂利話(南陽さん)」「真田三代記(小二三さん)」「難波戦記(南陵さん)」。見聞が広まった。

旭堂南陵一門の詳細はこちら


10月27日 京都芸術大学 日本伝統音楽研究センター 共同研究「ヤタイの祭りと囃子」
■笛吹きの独り言■
今日は半年前ほどから声を掛けていただいていた、共同研究「ヤタイの祭りと囃子」にて、ゲストスピーカーとして、「岸和田祭の囃子」についての発表。3時間程の発表と2時間程のディスカッション。貴重なご意見もいただき、見聞が広まった。祭囃子研究を第一線で行なっている先生方でも「岸和田=民家激突&電柱薙ぎ倒し」のイメージが強く、祭の全容は元より囃子の詳細の情報は伝わっていなかった。今回、笛と太鼓の実演も交えて、岸和田囃子の基本構造と魅力、そして課題をお話した。基本は「平成地車見聞録」の流れに拠る。交流会でも貴重な情報を交換できた。帰りの車では、ひたすら明日の宮本の昇魂に行くべきかどうかを議論(当然行くべきではあるが)。吉為の棟梁さんが大屋根に乗るとの情報を得ていたので、やはり行くべきであるとの結論に達する。事務所に到着12時半。明日は4時起きである。

京都芸術大学日本伝統音楽研究センター

研究代表者の田井先生には「見聞録」の推薦文を頂いている。

10月23日 京都教室
■民の謡事務局■
今日は京都教室でした。新しい生徒さんも多いので、基本からの講習。後半は「浪切」に向けて「餅搗き囃子」と「淡輪」の練習です。


■笛吹きの独り言■
バクダンスケジュールで動いているが、いざお稽古となると気合いが入り疲れが吹っ飛んでいる。不思議なものである。講習後、門下生たちとお茶をして、その後、場所を移して幹部会議。「浪切」に向けて気合いを入れていく。

10月22日 魚吹(うすき)八幡社 屋台と檀尻
■笛吹きの独り言■
午前は「浪切ホール」にて、技術スタッフの方々と打ち合わせ。大阪芸術大学の先生の案内で、播州は網干(あぼし)、魚吹(うすき)八幡社。様々な神賑が行われており、盛りだくさんの内容。打ち合わせ後、即行電車に乗り(疲れが相当たまっているので車での運転は危険と判断)、到着したのは4時。丁度宮入りがはじまったところである。20台ほどの屋台、神輿、流し、地車・・と、宮入りだけでも4、5時間はかかっているのではなかろうか。泉州と「ノリ」がまったく異なる。褌姿で皆が団子になって盛り上がる。屋台、地車とも、囃子よりも唄の比重が高い。



その形状は神輿に似るが、神様が乗るでははなく人が乗る。四方から子供が超びっくり豪華な衣装に身を纏い太鼓を打つ。移動時は足が地面につかないように肩車をされる。


掛け声は「ソリャ・ヨーイヤサ」(大阪・和泉市の聖神社の掛け声もこれに同じ。よく聴く掛け声)など、色々。
屋台を持ち上げる行為を「チョーサー」と言うらしい。掛け声に「チョーサー」の声が入る。

素木の屋台もある。多くの場合、一年目は素木、それから順次、漆や金飾などを付けていくとのこと。

西日本各地で物を担ぐ(曳く場合もあるらしい)際に用いれる一般的な掛け声。岸和田の積川神社の神輿も「チョーサジャー」、延享二年(1745)の岸和田城下の祭でも、天神祭の催太鼓に酷似した太鼓が担ぎ出され「ちょーさや」と囃してまわっている。


先生方や地元の方々の計らいで、絶好の見物場所を確保。



境内には約20台の太鼓台が宮入り。

境内には電飾された屋台が美しく並ぶ。


太鼓台に続き「チョーサ」の掛け声で3基の神輿が還御。





 
後梃子がないので、小梃子で少しずつ方向転換。綱が巻かれると、伊勢音頭→団子状態で盛り上がり→拍子木で定位置に→伊勢音頭→・・・と続く。




続いて、「流し」が先導し、檀尻が楼門前に据えられる。伊勢音頭で曳かれるが、歌い終えると二本の綱が合わせられ竜のように練る。ここで曳行責任者が拍子木を鳴らすと、ぱっと定位置に、そして伊勢音頭が唄われ・・・と独特の雰囲気で檀尻が曳行される。





3町が楼門前に据えられる。今日はここで店仕舞いか・・っと思ったら中央の檀尻が解体されはじめる。欄干か外され、屋根を支える柱が取られ、・・・とやっている内に、なんと芸舞台に変形。何とっ!日本にもトランスフォーマーが上陸していたのである。


芸の内容は、子供がカラオケに合わせて踊ったり、花笠音頭などを歌ったり、現代的な見せ物であったが、氏地の子供達(特に女の子)の晴れ舞台という感があった。舞台が終わる毎に、何か「おひねり」様の物が投げ込まれる。地車の上で芸を行なうというのは、大阪も含めて存在し、岸和田でも昔は俄を地車の上で行なった可能性はある。


ここで気付いた!!!。もしかして、岸田さんの彫物入っている屋台ってこの地区の「平松」の屋台?彫物を確認すると果たしてそうであった。これは古磨屋の仕事ではあるが、実際の祭礼の様子は、年に一度しか撮ることができない。今日は思わぬオマケがついてきた。このあたりは飾磨の彫物が多いようである。岸和田の彫物の主流の一つである木下彫刻工芸さんも元をたどれば飾磨との関係があるそうだ。





神賑わいの要素が非常に多様な祭礼であり参考になることが多かった。名残惜しいが、戻らねばならない。神戸元町では鈴原が文化センターで授業を行なっている。車で来ている鈴原に神戸で拾ってもらうため、元町を目指す。JR網干から電車にのるが、快速の最終は出たとのこと、あきらめて普通車でとおもって、靴を脱いでくつろいでいると、次の駅で実は快速に連結。あわてて靴を履くも荷物がまとまらず乗り遅れる。仕方ないので、今日の復習をしながら10時半元町到着。元町エビスという店で、鈴原と生徒さんが待っていてくれた。ビールなんてものは殆ど飲まないのであるが、本物のビールをということで、本物のビールを頂く。市販されているビールはビールでないことがわかった。今日も一つ勉強になった。「中学校の頃、焼酎で消毒をして自分で虫歯を抜いた」とか「アフリカのジャングルに放り出されても生きていける自信がある」とか、女性2人の武勇伝を聴いたおかげで、完全に脳みそがリセットされた(いいのか悪いのか)。12時半事務所着。民の謡は今日も忙しかった。

10月21日 北町昇魂式・岸城神社合同
■笛吹きの独り言■
4時起き。考えると二度寝してしまうので、目覚ましを消すと同時に機械的に出発の準備。
現在の地車は大正6年の作。約90年振りの新調である。来年新調の地車は、大工は植山工務店。彫師は松田武幸氏。
取り敢えずコナカラ坂で待機。祭礼の時期とまったく異なった時期に地車が曳行されるというのは、それだけで何かわくわくするものがある。



コナカラ撮影後、五風荘前にダッシュ。ここは地車と岸和田城が電信柱などの障害なしに見ることができるナイスな地点。



 本殿改修中のため戎殿での昇魂式。




どこから湧いたのか降ったのかこの見物人。岸和田祭文化圏の各町からの見物が多い。おそらく他地域の祭礼見物人にくらべて、若者の割合が多いのも特徴か。この人数、この岸和田祭ファンが岸和田祭を支えている。

六覺千手氏はこの後、山手の矢代寸(やしろぎ)神社へ直行。「矢代寸神社御鎮座壱千五百年記念大祭」で、神輿が各町を渡御。岸城神社での合同稽古のためどうしても行けず。北町前夜祭、矢代寸神社の様子は、六覺千手ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/rokkakusennjyu に詳細あり。

■民の謡事務局■
今日は早朝から「北町昇魂式」、午前は「淡輪盆踊り」の特訓、午後から「岸城神社合同稽古」と、体力勝負の一日でした。2日の「浪切ホール」で披露する「淡輪」に出演する門下生は8人。午前からの特訓で良い形に仕上がってきました。この調子で行きましょう!


10月18日 笛と太鼓のこども教室 最終回
■民の謡事務局■
全10回の、文化庁委嘱事業伝統文化こども教室「笛と太鼓のこども教室」の最終回です。小学校から中学生まで、70人もの人数でしたが、毎回の出席率も高く、笛に対する抵抗感(音が出ない、難しいなど)は完全に払拭されたようです。
締め括りに師匠の笛とこども達の笛で二重奏。岸和田の笛復活の一助になれば幸いです。






引き続き11月以降も月3回(木曜日)夕方から「こども教室」を開催しております。現在10名程の申し込みがございます。少人数でより意識を高くもったお稽古を行なってまいります。お問い合わせはこちらまで。

10月15日 ソロバン
■笛吹きの独り言■
「笛吹き」と「笛吹」どっちが見栄えが良いか?しょうもないことで毎回悩んでいる。
夜中にふと思い付いた。今日から「民の謡」の店舗ではレジを廃止。ソロバンを使用することに強行。
言い出してみたものの、鈴原は余裕でソロバンを駆使するが、小学校の授業でもサボっていた私は、その使用方法がまったくわからいない。
繰り上がって、五を払って、二入れて・・・脳みそが捻れそうである。
五と一の玉を動じに動かしたり、払ったと同時い入れるなど、放下さながらである。
M 『何でそんな瞬時に玉を動かせるのですか?』
S 『勝手に動きます』
どうやら、ソロバンをマスターすると、ソロバンを置くだけで勝手に指が動くらしい。夢のような機会である。
取り敢えず「1+2+3+・・・」の練習をおこなっている。笛も同じであるが、構えと息遣いが指の動きに影響をあたえるみたいだ。現在はまだ、側に電脳算盤を置いておく必要がある。



10月13日 飾太鼓のガラスケース
■民の謡事務局■
飾り太鼓のガラスケースを扱うことになりました。見ての通り太鼓が栄えます。



10月12日 産経新聞
■民の謡事務局■
新聞の記事に師匠の名前が・・・。


10月11日 笛と太鼓のこども教室
■民の謡事務局■
子ども教室 第9回目の今日は、5・6年生、中学生の保護者の方の参観日でした。

今日は新しい曲、「民の謡 餅搗き囃子」のお稽古。
裏笛の「ターウタウラー、ターウタウローロ」の口唱歌をみんなで歌ったあと、
篠笛で吹いてみます。太鼓の拍子にあわせて何度か繰り返すうち、全員の音色が
揃ってきました。「太鼓もしたい!」と元気よく手が挙がり、太鼓も練習。
最後には講師の本手の旋律、4台の太鼓、チャッパにあわせて、見事、「餅搗き囃子」
の演奏ができました!
初めてとは思えないほどの出来!みんな、頑張りました。

今日は残念ながら、師匠は別のお仕事で来られなかったのですが、いよいよ最終回の
次回、こども達と師匠の共演が楽しみです。
みんな、頑張りましょう!


10月8日 伊勢大神楽
■笛吹の独り言■
今日は、休日にしようと思っていたが、宮本町(信太)の獅子頭の纏を是非見せたい人がいたので、再び信太へ。
信太は今日も地車曳行。

写真は、先日の「京都見聞」で発見した錦絵。「英一蝶」の銘がある。

10月7日 泉州秋祭 その3 聖神社 穴師神社 兵主神社 大鳥神社
■笛吹きの独り言■
昨日はあまり眠れず、5時に起床。森田・岡が聖神社へ。鈴原は兵主神社へ。

聖神社参道入り口の大鳥居に向かう。途中偶然にも宮入りに向かう富秋の地車に遭遇。深く艶のある音で笛2管が掛け合う。見聞した中では信太地域の笛の音が最も大きく美しい。





熊野街道に面する参道大鳥居前(遥拝鳥居か?)に8町の地車が集結。


かつての伊勢大神楽の「練り込み」を纏で再現。宮本町の方からは纏製作にあたって何度かお電話をいただいていた。民の謡の房を使用していただいている。鳥居を潜ると「信太の太鼓」に!昔はこの太鼓で曳行していたが、昭和50年代半ばに、岸和田囃子に切り替わったそうだ(大鳥も同時期)。雅な旋律が美しい。感動の一場面であった。


ここから7、800メートル程もある急勾配の坂を地車が引き上げられる。地元では爆弾坂というらしい。





境内に到着。


8台の地車が境内に整然と並ぶ。神輿の当番町(今年は「葛の葉」)は地車を出さずに各町を境内にて出迎える。



宮本の大屋根正面枡合には、聖神社における御霊入れ神事が彫られている。


本殿における宮入り式。


御神体が人目に触れないように白布で覆い最速で移霊。


この後、神輿が御旅所から戻るまで地車は停止。午後からは各町地車を小屋に納めて、自町に廻ってくる神輿を待つ。御旅所と神社との往復はよく見かけるが、ここでは御神霊が氏地全域を廻るという本来の姿が残されていた。地元の人も『うちは神輿の祭やからなあ』という認識である。

兵主神社の宮入り撮影を行なった鈴原と境内で合流。穴師神社へ即行で向かう。以下兵主神社の様子。






動いている地車の大屋根で舞うなどと、尋常では考えられないが、子供の頃から乗っているからこそ、その高さに違和感を感じなくなるのであろう。教育とはある意味洗脳である。


ここに限らず多くの町では青年団による芸が披露される。岸和田周辺でも江戸時代、俄が流行った。その名残でもあるのであろう。芸といっても、決してあなどれない。この芸の良し悪しが、組織での立場に少なからず影響を与える。一昔前は下ネタが多かったが、最近は逆に下ネタは引かれる傾向に。先輩の物真似や、最近流行のネタのモジリ、オリジナルのコントなど。『でも そんなの関係ねぇ!↓↓↓↓』『でも そんなの関係ねぇ!↓↓↓↓』『でも そんなの関係ねぇ!↓↓↓↓』。


穴師神社に到着。宮入りまで40分程。たこ焼きと焼きそばでしばし休憩。

 
太鼓橋が印象的な鳥居前。和泉三之宮・泉穴師神社。念願の「飯之山地車」が本殿前に据えられている。
小屋根がなく四方に屋根がある。


社務所に掲げられた渡御列の図。


土呂幕には穴師神社の境内が彫られている。神賑に相応しい内容(各町の地車は合戦物が好まれる)。


四方の松良は、アメノウズメノミコト、サルタヒコ、サルの万歳・・・っとなんとっ!ここにも伊勢大神楽がっ!
着物に袴、御幣に鈴、後持ちが幕を持つ。サルの万歳との対応を考えると、完全に伊勢の大神楽である。
飯之山地車は明治中期の製作。大工・彫物は隣村(忠岡村)の櫻井義國。地車の彫物の図柄に採り入れるということは、相当の想い入れや意味付けがなければできない。前述の宮本町(和泉市)も同じであるが、伊勢大神楽に対する信仰の深さが伺える。


いよいよ宮入り。初めて見聞したが、境内で地車を前進させ、次に綱を放し、写真右のように、全員で押して地車を後退させる。次に、ぱっと地車から離れたかと思うと綱を握り地車を前進、次に後退・・・と、ひたすら地車を前後させる。これに穴師神社氏子は燃えるようだ。


板原の脇障子竹の節には、飯之山の彫物に因み、右(正面からみて)には猿の万歳、左には伊勢大神楽が彫られている。



数百メートル離れた御旅所まで神輿が渡御。穴師は古式に則っとった渡御列が練ることで有名。


天狗さん(サルタヒコ)の先導は全国共通(日本神話に基づく)。続いて露祓いの獅子。




小学校低学年生が神輿を曳く。


元の御旅所は現在小学校の境内。四町が神輿を出迎える。


飯之山地車の御簾が上げられる。名称由来ともなる御飯が富士山型に盛られている。この飯を元に当家で甘酒が造られ、氏子に振る舞われるようだ、


天狗さんが笹で人々を清める。伊勢大神楽の楽々(ささ)の舞でも、天狗さんは笹竹を持つ。
大人気の天狗さん(写真右)。


獅子も人気。

これにて取材終了。たまには昼間から飲むのもアリか。『(森田)飲んでええですか?』『(鈴原・岡)ええデスよ!』っと、一杯口にした瞬間っ!『あああああっあ〜あぁっ!!!』『もしかして今日車ちゃいます?』
日頃は自分ではあまり運転しないが、今日は2班に分かれて行動していたので、森田号と鈴原号の2台を使用していたのである。生まれて此の方、数々の悪事を働いてきたが、万引きと飲酒運転だけはしたことがないのが自慢である。しかし、どう考えても祭期間中に車を置いて帰るわけにはいかない。

そういえばっ!『(森田)岡さんて車運転できんの?』『(岡)はい!』『(鈴)最近いつ運転しました?』『(岡)七年前です』

かくして、某駐車場で俄特訓をはじめることになる。これが功を奏した。民の謡はノリノリである。
町内アナウンス『富秋町の皆さん、間もなく御神輿が参ります。お迎えの方よろしくお願いいたします』

そうである。聖神社で見送った神輿は、御旅所から神社に戻った後、各町を廻っていたのである(本日は信太の地車は曳行しない)。神社と御旅所の往復の事例はよくみられるが、氏地を完全に廻り切る事例はこのあたりでは珍しい。昼間に町の人に、この続きは来年来ます、と伝えたが、ラッキーである。


小太鼓が神輿を先導。神輿の掛け声は『ソレ・ヨーイヤサ』

『エンヤコリャセー ドッコイセ!』で神輿を高く上げる。
『下ろしましょー ドッコイセ!』で神輿を地車前に据える。

ここまで来たら廻れるだけ廻るしかない。夜は大鳥へ。大鳥は夜の方が盛り上がるらしい。
二年前にも大鳥神社前に来た。一年前には北王子青年団に私の講演会を手伝っていただいた。



商店街前に各町の地車が集合していた。関係者の挨拶。地車がそれぞれの町に戻っていく。
大鳥太鼓がここでは殆ど聞けなかった。2年前と同じであれば大鳥大社前で大鳥の地車がいるはず。
神社までダッシュ。

ぎりぎり間に合う。ゆっくりとした大鳥太鼓でジリジリと地車が近づく。鳥肌が立った。

地車から曳き綱が外され、その場で旋回(いわゆる「ぶんまわし」)
大鳥太鼓(天神囃子の太鼓に独特の笛の旋律が乗っていく)。
『テンテコテーコーテン シャボテン ソリャ ヨーイヨイ』『ホイサ!(ホイサ)ホイサ!(ホイサ)ホイサ!(ホイサ)』
↑掛け声の正確な描写は不明。次の機会に尋ねることにする。


囃子はそのまま、地車が後進で境内にある地車小屋へ。


青年団団長、幹部らの挨拶と胴上げ


若頭や後梃子(青年団よりも年配)を、手製のアーチで追い出す。


境内に鳴物が何時までも鳴り続けている。

この二日間で相当の見聞が広まった。

どこまでも「岸和田びいき」でありたい私としては、岸和田の鳴物の技術が周辺地域の鳴物に比べてあまりにも低い状況が歯痒い。見聞は広まるも手放しでは喜べない状況がここにある。
浮気をしたくなるほど魅力的な祭が岸和田周辺にも存在した。

10月6日 泉州秋祭 その2 稲葉菅原神社 三田穂椋神社 信太地域 等乃伎神社 
■笛吹の独り言■
岸和田山手地域、岸和田周辺地域には、岸和田旧市内とは赴きを異にする行事が数多く存在する。岸和田山手地域は昨年六覺千手さんと2班に分かれて取材を行なった。今年はその撮り残しを取材し、岸和田市以外にも足を運ぶことにした。

民の謡の部隊編成は、森田・鈴原・岡。


朝4時半起床。曳き出しは「稲葉」周辺。十月祭礼年番本部にご挨拶にいく。今年の年番長さんには、こども教室などで大変お世話になっている。
 

のどかな地域である。


昨日宵宮参りを行なった稲葉東と稲葉西の二町が宮入り。祭礼一日目が本宮となる。






疾走する地車では中々見ることが出来ないが、地車には随所に彫物が施されている。写真は「稲葉東」。




その後、浜方面に下って「包近(かねちか)」へ。広大なミカン畑の真ん中にある楠本神社に出向くも、誰もいない。
ミカン畑のおばちゃんに尋ねるてみると、神事は昨日であるとのこと。ミスった。恥ずい。時間のロス。


さらに下って、岡山内にある三田町の穂椋神社へ。途中近隣地域の何町かが集まっていた。



地車を据えて、参道を登る。

小高い山の上にある異空間。ここは岡山内にある三田の飛び地。町内の人によると、三田側ではこの地域を「おくど」、岡山側では「おかんど」と呼ぶそうだ(「置くで〜」「置いたらあかんで〜」の意か?)境内にて六覺さんと合流。六覺さんは今日、明日と岸和田市内を網羅予定。

昼からは聖神社周辺(信太)へ。安倍晴明・葛の葉伝説で有名な地域。和泉国二之宮である。

割りにかわいい。


大きな目的の一つは、今年新調の宮本町の纏。この纏は、なんとっ!「伊勢大神楽」の獅子頭。引布の工夫がすばらしい。伊藤森蔵さんが回檀にまわっていた時は、熊野街道(小栗街道)から、聖神社まで、1キロはあろうか?地元で爆弾坂と呼ばれる急勾配の坂を、魁曲の様態(台師が花魁に扮した獅子を肩に乗せる)で地車を先導したそうだ(これを「練り込み」と言う)。纏は、その情景を見事に再現している。村の人々の神楽に対する想いの深さが伺える。いずれ神楽の復活の話が盛り上がればと願っている。和泉場の復活は必須であろう。


葛の葉の大工方の法被には『恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛ノ葉』が描かれていた。
(うらみ葛ノ葉→偲び偲びての歌もアリ)


明日は聖神社の神輿渡御(泉穴師神社の渡御も見たい!きっちりとした時間割を考えねば)


さらに足を延ばして等乃伎神社(高石市)へ。これからの町であろうか、子供地車が宮入りを行なっていた。


偶然であるが、大鳥地域の地車が神社前に10町程集まるとのこと。

上地車の彫物は厳つい。


「民の謡」の笛と房は好評であるとの声をたくさん掛けていただいた。




岸和田・五軒屋町先々代地車「長承寺」。独特の派手な造りである。

帰り掛けに和泉府中駅前に立ち寄る。


右の写真は泉井上神社。中世〜戦国時代は、和泉国五社(大鳥・聖・穴師・積川・日根)の神輿が8月15日に渡御した。詳細は『平成地車見聞録』を参照されたい(社の絵図の掲載アリ)。明日は、このうち聖・穴師の二社は必ず押さえねばならない。

10月5日 泉州秋祭 その1 稲葉菅原神社 夜宮参り
■笛吹の独り言■
例祭日の前日、岸和田市山手地域の「稲葉菅原神社」では、「夜宮(宵宮)参り」の提灯行列が行なわれる。

部隊編成は森田・村田・六覺

担ぎ太鼓の拍子で伊勢音頭が唄われる。笛の音が村中に響き渡る。稲葉「東」と「西」がそれぞれに村中を廻り、旧参道入り口で合流。200メートル程であろうか、くねった道をゆっくりと練り歩く。本殿を囲う玉垣内はぎゅうぎゅう詰めとなり、本殿を時計廻りに三周する。







提灯を持つのは小学生の男女。


写真左・本殿玉垣をくぐる。写真右・本殿を3周。


夜はフラッシュを焚かない主義(その場の雰囲気を壊してしまうのと写真がうそっぽくなるから)なので、少し見えにくいが、手前が担ぎ太鼓。後方に笛が付く。

明日からの激しい地車祭の前に執り行なわれる厳かな行事。見聞が広まった。


10月4日 伝統文化 笛と太鼓のこども教室
■民の謡事務局■
今日は3・4年生の保護者の方々の参観日です。「だんじり」の基本旋律を何とか吹ききりました。残り後2回、がんばって練習をしましょう。



10月1日 京都
■笛吹の独り言■
京都視察。実は「民の謡」は京都で始めたということを知らない人も多い。





10月1(9月30日) 阪南市の地車(やぐら)
■笛吹の独り言■
大阪府南部・泉佐野以南は「やぐら」文化圏である。形は岸和田の地車に類似するが、コマが大きな組コマで、上下左右旋回と動きが激しい。鳴物はゆったりと情緒的で唄が入る。9月30日は、阪南市全20町が一堂に会する「やぐらパレード」。鈴原の高校時代の同級生・S野(たまたま私の高校の先輩にあたる)さんに付きっきりで案内していただいた。阪南市は地車と記述して「だんじり」と読ませるらしい。見聞が広まった。一定空間で円を描くように走り廻る「マッセ(回せの意味)」が一番の見せ所。二年前に波太神社で見ることができている。






上下に大きく揺らされるため、ぼーっとしていると頭に小屋根が直撃する。笛はやぐら後部を練る。



基本旋律「大門寺(だいもんじゃ)」
撮影が行ないやすいようにS野さんは私に法被を着せてくれたので、法被を脱いだ状態の写真。
よく地方の観光客が祭地元の知り合いに法被を貸してもらい、私服の上から法被を着てかなりダサイ雰囲気を醸し出しているが、遂に私もその一人となってしまった。あまりのダサさに一緒に記念撮影をしていただいたが、ここでは未公開とする。

 
大阪の祭礼では七笨調子六孔が主流であるが、自然田地域は「六笨」を使用。六本の方が唄えるので、やぐらの囃子には合っている。笛は首に挿す。伊勢大神楽と同じ形態。阪南市域は山本勘太夫組(伊藤森蔵組)の回檀地域。

新しいカメラが到着。サブとして使用予定。キャノンG9



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9月の民の謡 11月の民の謡



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