| 10月22日 魚吹(うすき)八幡社 屋台と檀尻 |
■笛吹きの独り言■
午前は「浪切ホール」にて、技術スタッフの方々と打ち合わせ。大阪芸術大学の先生の案内で、播州は網干(あぼし)、魚吹(うすき)八幡社。様々な神賑が行われており、盛りだくさんの内容。打ち合わせ後、即行電車に乗り(疲れが相当たまっているので車での運転は危険と判断)、到着したのは4時。丁度宮入りがはじまったところである。20台ほどの屋台、神輿、流し、地車・・と、宮入りだけでも4、5時間はかかっているのではなかろうか。泉州と「ノリ」がまったく異なる。褌姿で皆が団子になって盛り上がる。屋台、地車とも、囃子よりも唄の比重が高い。


その形状は神輿に似るが、神様が乗るでははなく人が乗る。四方から子供が超びっくり豪華な衣装に身を纏い太鼓を打つ。移動時は足が地面につかないように肩車をされる。

掛け声は「ソリャ・ヨーイヤサ」(大阪・和泉市の聖神社の掛け声もこれに同じ。よく聴く掛け声)など、色々。
屋台を持ち上げる行為を「チョーサー」と言うらしい。掛け声に「チョーサー」の声が入る。
素木の屋台もある。多くの場合、一年目は素木、それから順次、漆や金飾などを付けていくとのこと。
西日本各地で物を担ぐ(曳く場合もあるらしい)際に用いれる一般的な掛け声。岸和田の積川神社の神輿も「チョーサジャー」、延享二年(1745)の岸和田城下の祭でも、天神祭の催太鼓に酷似した太鼓が担ぎ出され「ちょーさや」と囃してまわっている。

先生方や地元の方々の計らいで、絶好の見物場所を確保。

境内には約20台の太鼓台が宮入り。

境内には電飾された屋台が美しく並ぶ。

太鼓台に続き「チョーサ」の掛け声で3基の神輿が還御。


 後梃子がないので、小梃子で少しずつ方向転換。綱が巻かれると、伊勢音頭→団子状態で盛り上がり→拍子木で定位置に→伊勢音頭→・・・と続く。


続いて、「流し」が先導し、檀尻が楼門前に据えられる。伊勢音頭で曳かれるが、歌い終えると二本の綱が合わせられ竜のように練る。ここで曳行責任者が拍子木を鳴らすと、ぱっと定位置に、そして伊勢音頭が唄われ・・・と独特の雰囲気で檀尻が曳行される。


3町が楼門前に据えられる。今日はここで店仕舞いか・・っと思ったら中央の檀尻が解体されはじめる。欄干か外され、屋根を支える柱が取られ、・・・とやっている内に、なんと芸舞台に変形。何とっ!日本にもトランスフォーマーが上陸していたのである。

芸の内容は、子供がカラオケに合わせて踊ったり、花笠音頭などを歌ったり、現代的な見せ物であったが、氏地の子供達(特に女の子)の晴れ舞台という感があった。舞台が終わる毎に、何か「おひねり」様の物が投げ込まれる。地車の上で芸を行なうというのは、大阪も含めて存在し、岸和田でも昔は俄を地車の上で行なった可能性はある。

ここで気付いた!!!。もしかして、岸田さんの彫物入っている屋台ってこの地区の「平松」の屋台?彫物を確認すると果たしてそうであった。これは古磨屋の仕事ではあるが、実際の祭礼の様子は、年に一度しか撮ることができない。今日は思わぬオマケがついてきた。このあたりは飾磨の彫物が多いようである。岸和田の彫物の主流の一つである木下彫刻工芸さんも元をたどれば飾磨との関係があるそうだ。



神賑わいの要素が非常に多様な祭礼であり参考になることが多かった。名残惜しいが、戻らねばならない。神戸元町では鈴原が文化センターで授業を行なっている。車で来ている鈴原に神戸で拾ってもらうため、元町を目指す。JR網干から電車にのるが、快速の最終は出たとのこと、あきらめて普通車でとおもって、靴を脱いでくつろいでいると、次の駅で実は快速に連結。あわてて靴を履くも荷物がまとまらず乗り遅れる。仕方ないので、今日の復習をしながら10時半元町到着。元町エビスという店で、鈴原と生徒さんが待っていてくれた。ビールなんてものは殆ど飲まないのであるが、本物のビールをということで、本物のビールを頂く。市販されているビールはビールでないことがわかった。今日も一つ勉強になった。「中学校の頃、焼酎で消毒をして自分で虫歯を抜いた」とか「アフリカのジャングルに放り出されても生きていける自信がある」とか、女性2人の武勇伝を聴いたおかげで、完全に脳みそがリセットされた(いいのか悪いのか)。12時半事務所着。民の謡は今日も忙しかった。
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